拉致被害者家族来日報道への違和感

長期的な国益より当面の政局の主導権を支配するために行なわれた小泉訪朝への批判がすっかり忘れられて、家族愛の美談だけが報道される。みごとに小泉のポピュリズム戦略にのせられるマスコミには唖然とさせられる。ときどきテレビにでてくる首相への「ぶらさがり」インタビューの迫力の欠如、すなわち記者クラブ制度に安住するジャーナリストの名に悖る者どもの使命感の欠如に暗澹たる気持ちにさせられる。
 核、ミサイル、覚醒剤輸出、まだ数多く残されていると言われる拉致被害の解明、それらをすべて棚上げにして、5人を連れてきたことに喜ぶこの国民は何だ。
 ジェンキンス氏に関してもまったく小泉の考え方もマスコミの取り上げ方も理解できない。確かに、一旦日本に連れてくれば、形式的な軍事裁判ののちに恩赦、あるいは執行猶予というかたちで曽我さんと再会させることはできるかも知れない。しかし、その代償として日本は大きな借りを米国に作ることになる。今後、日本で犯罪を犯した米兵の引渡し、日本の主権に基づいた裁判を行うことは極めて困難になるだろう。